C'était un rendez-vous
- marquis81
- 2017年5月18日
- 読了時間: 3分
フォシュ街からサクレ・クール寺院前で待つ彼女の元へ、パリ市内を信号無視でかっ飛ばす(だけ)の、クロード・ルルーシュ1976年の短編映画『ランデブー C'était un rendez-vous』。
使用車やドライバー、違反の懲罰について様々なことが言われていたが、40年後の2006年に作られたルルーシュ本人登場のメイキングがYoutubeにあり、些かならず驚いた。
使用車は監督本人所有のメルセデス・ベンツのセダン(450SELらしい)で、メイキング映像の車は同じ色だそうだ。
そして運転者は監督本人だったことが、本人の口から明かされる。
フランス版Wikipediaには、これで免許取り消しになったと書かれている。
環状道路時計回り、ドフィーヌ大学西側出口からパリ中心部に入るところからスタート。
フォシュ街へ出て、凱旋門を回ってシャンゼリゼへ。
先月のパリマラソンのスタートを思い出す。
コンコルド広場を右折し、コンコルド橋手前でテュイルリー通りに左折。
さらにルーブル内に左折して入り、カルーゼル広場を通って抜け、オペラ通り。
ガルニエの手前の信号待ち渋滞を反対車線を逆行するところまで再現している。
ガルニエ、サントリニテ教会とも右回りし、ピガール広場からクリシー大通りへ出て左折。
私が気になっていた、右折しかけてやめて直進するところは思った通りクリシー大通りとルピック通りの交差点だということが確認できた。
ルピック通りからモンマルトルに登る予定だったがトラックが停まっていて通れそうに無かった、と監督本人が説明している。
そして、「映画の神様」の仕業か、40年後のこの日2006年5月26日水曜日のこの時にも同じところに同じようにトラックが停まっていたのである!
咄嗟に進路を変更し、ムーラン・ルージュの前を直進し、コーランクール通りで右折しモンマルトルの裾野を時計回りするルートへ。
メトロのラマルク・コーランクール駅の交差点一つ手前から右折し、ジュノ通りに入って今度は反時計回り、印象的なノルヴァン通りの入り口からお馴染みのモンマルトルらしい細い道を登り、似顔絵描きのテルトル広場を右に見てサクレクール寺院へ到着する。
クロード・ルルーシュと抱擁し合うのは当時の妻(または恋人)のGunilla Fridenという女優であることが今では明らかになっている。
彼女は、この二年前1974年のルルーシュ作品『マイ・ラブ Toute une vie』に出演している(らしい)。
二人の間にこの年1976年に生まれた娘Sarah Lelouchも、女優になっている。
このカルト・ムービーについてずっと沈黙を守ってきたクロード・ルルーシュ本人が出演し、自らカメラの設置やクルーの様子、そして自らの運転で全コースを案内するという、まさかのメイキングを当然喜んで観たが、しかし一方で、実はベンツのオートマチックセダンで、エンジン音やスリップ音はフェラーリのものに差し替えたということが詳らかにされると、そう言えばと、何箇所かスリップ音と映像が合わないよう(スリップなどしてなさそう)に感じたことが思い返され、改めて観るとギアチェンジ音もやや滑稽になってしまい、何よりパリ市内走行の限界を超えたピーキーさが圧倒的な魅力のこの作品の印象は一気に変わってしまった。
しかしながら、それこそ映画作家の力というものでもある。
「はぁ?マジ?」「しかもクロード・ルルーシュ作品?」と多くの人を40年間驚かせ続けた末、本人自ら再現した種明かしである。
この映画のコースは全て右岸。
ヌーヴェル・ヴァーグには二派あり、モンパルナス界隈の「左岸派」に対して、カイエ派は「右岸派」とも呼ばれる。
カイエ派からこき下ろされたルルーシュだが、別ルートから密かにヌーヴェル・ヴァーグ(ニュー・ウェーヴ)にランデブーした、40年掛けた「作品」だ、と思いたい。
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